人生の意味とは?

まず最初に、これは僕個人の人生観だから、書かれている内容に大した期待はしないで欲しい。

そもそも生きる意味とか人生の意味というテーマ自体、すごく殺伐とした抽象度合いが強い、そして大袈裟な問いであるからです。

しかし、人生の意味とはなんぞやといった命題は至るところで問われ、僕自身人生の至る場面場面で、時に真剣に、時にその瞬間を楽しみながら、時に切羽詰まった状況下で、頭の片隅で常々考えてきたテーマでもあるのです。

そんな中で、今の僕がその答えを出すとしたらそれは、

”主観と客観の関係”

なのかなということです。

舞台上の演者とその周りを取り囲む観客を想像してみてください。

主観である演者視点では観客に対し、

「これから何をすれば良いの?」

とは問いません。

観客側が、

「これから何を観せてくれるのか?」

という思いで舞台上の物語に期待を寄せるものです。

つまり人生の意味とは、

主役である僕たち各々の存在が、人生に対して「どんな人生を観せてくれるのか?」と問うのではなく、人生が僕たちに「どんな人生にするつもりなのか?」と逆向きの設問をするということです。

主観と客観を入れ替えることで、人生に人生を委ねる受け身の考えから、人生のあらゆる問いに対し実存的な能動的選択をするという発想に変わります。

これまで選択しがちだった「人生の意味を問う」という考え方が選択後の結果を人生に委ねる被害者意識的な運命論になりやすいのに対し、

「人生に意味を問われる」という逆転のコペルニクス的発想は選択前の意思決定を鳥瞰的に意識することで成長志向的な実存主義になるのではないかと言えるわけです。

つまり問うことから問われることにより、利己的な意識が利他的、他者思考的な慈善意識に向かいやすくもなるわけです。

(もちろんそこには自己犠牲という観念はない)

僕たちは皆、生きていると様々な問題や難しい選択を迫られる場面に出会います。

何千とある選択肢の中、直感やその時々での判断材料をもとにベストと思われる選択をしているはずです。

生きる意味とは、どんな結果をもたらそうと、そういった問々に、ものごとに価値や尊厳や意味があるという有意味的な立場で応えることであり、人生の意味とはそれの連続であると同時に、自らが人生から問われ続けるという状態そのものを指し、そしてその問いに人生を掛けて応えていくという過程であるということなのです。

仏教でいうところの「前後際断」的な「今」「ここ」の連続を無限に数えるということなのです。

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