今日は久しぶりの投稿ということで、これまでの内容と比較しても今まで書いてきた大枠から少々外れた内容になっている。
しかし僕個人という大流の一部であることは言うまでもなく、ふと感じた個人的な思いを記録として残しておこうと思う。
今日は読書に関してのお話だ。
おそらく非常に例外的な読書方法ではあると思うのだがこれが少数の人にはピシャリとハマる可能性もあるということでその件に関して説明しようと思う。
タイトルにもある通り僕は読書は好きだがなぜか読書になかなか集中力を投入し持続させられないという問題を抱えている。
知的好奇心は強い方だが、知りたいという欲求よりも集中力の欠如がその足を引っ張るのではないかという負の想起からめんどくさいという感情が先立つこともしばしばあるくらいだ。
端的に解決策を挙げるとすると、それは比較的大きな音量の音楽で中の自分を黙らせるという方法である。
文字を拾いながらも頭の中では昨日食べたインドカレーのタンドリーチキンの酸味が心地良かったことやセミを黙らせて寿命を伸ばしてやろうという妙案を思考しているからで、もう一人の自分が内部からちょっかいを仕掛けてくることが本に集中できない一番大きな理由だ。
「もう一人の自分」は人間のみが持つ客観を持つ存在で、自身の行動などを見張っているいわば保護者のようなガードマンのような役割をしている。
この存在が時に意思とは裏腹にあらゆる場面で邪魔をしてくることがあることは、これを読んでいる半分以上が人間のみなさんならよくお分かりのことと思う。
瞑想という行いが湧き上がる邪念というか思考を鎮める方法として有効的なことが知られているが、向いていない人もいる上に時間もかかる。
マインドフルネスと呼ばれる呼吸云々にはある程度の才能とセンス、そして継続という苦行が必要であり、もっと即席的な方法をお探しの場合は不向きである。
そんな時に、胸を張ってはおすすめ出来ないがやってみる価値はある、程度におすすめ出来る、つまり猫背ならおすすめ出来る方法をお伝えしようと思う。
それが冒頭から述べている、
思考を抑えつける程度に意味を持つ、割と大きな音を流すこと
である。
音楽を流すといってもリラックス効果のあるカフェBGMや小川のせせらぎをゆるくふんわり聞きながら読書することが今回述べていることではない。
自分の中にいる口喧しい保護者を黙らせ、事細かに監視するもう一人の自分を閉じ込めて無力化してしまうくらいに思考を停止させる音量で読書するというのがその目的だ。
カフェや雑音が聞こえる場でやたら集中を見せる人がいるが、それは元々入り込める能力が高いか、雑音が集中力を助長しているか、もしくはその両方かだと思われるのだが、
僕個人の場合でいうと雑音の代わりに意味をあまり持たない音や、リピートされる音楽、脳に心地よいが興奮しない程度の名曲、反復の多いEDM
などが集中するためのサウンドとして高い効力を発揮する。
無音であればあるほど読書にも集中できるという思いがあったのだが、実際無音であれば、RiverKingさんはお酒も強いからLiver(肝臓)Kingでもあるよな、などの雑念がたくさん湧き上がっていることに気付いたりする。
この方法で感じたことは、短期記憶から長期記憶へのプロセスをすっ飛ばし、そのまま顕在記憶に上がってこない部分に直接的にデータをストックする感覚だろうか。
中の保護者を無力化している分、本の内部にどっぷり浸かるというよりもどこか文字や意味の表面を攫っている感覚が残るのだが、意外と潜在的な記憶領域の倉庫に情報を保管していることに後で気付くのである。
例えばここで読者の皆さんにある設問を用意する。
「今日記憶していることを教えてください」
という質問に何かしら答えることができると思うが、そこに「職場で起こったこと」という条件付けをすると脳はコンディションフィルターを通して引き出しを開けてくる。
意識に上がってこないが意思決定に影響を及ぼすのが潜在記憶でありその領域に直接情報を詰め込んでいるのが、もう一人の自分を抑えて集中する場合に起こる現象であるというのが僕が感じたイメージだ。
言語が違えば短期記憶が機能しないという概念から、最近では短期記憶も長期記憶も同じ領域で行っているという研究が進んでいるがもしそうであるならば、逆に好都合である。
ここで説明していることは完全に科学的論拠が欠如した方法論であり、印象論に砂糖をまぶしたような少々ピンボケ的なお話であるが、
インスタのストーリーに載せてもすっ飛ばさずにここまで読んでくださっているなんでもやってみようというタイプの成功者及び成功者予備軍の方々、お付き合いいただきありがとうございます。
なんの確証もないマイノリティな意見ということではあるが集中が出来ないという人は一定数以上いると思われる。
本当はもっと詳しい説明やこの方法が持つ複数のメリットをお伝えしたいのだが、それはいずれ考えがまとまってからにしようと思う。
と言いつつも実際に行動に移す確率は極めて低く、実質的には今回のトピックはここまでということになるので、記憶力が有限ではなく脳内のHDD領域を無駄遣いをしても良いという人はしっかりと長期記憶にストックして欲しい。
最後にもう一度要点をお伝えすると、この方法のポイントは口出しされないよう”若干”大きめな音で「保護者」を黙らせておくことである。
うちなる自分を閉じ込め意思を持っている側の自分を優位に働かせることが目的であるのだが、僕自身このやり方が万人に通用するとは思っておらず、むしろおすすめ自体していない。
なんならモーツァルトやショパンのゆったりとした曲調でドーパミン放出を促す全国の図書館に宣戦布告するかのような真逆のスタンスである。
ただ図書館のようなリラックス出来る場でも読書に集中出来ないという人がいたらそれは試してみる価値があるのかもしれないとも言えるのではなかろうか。
ではまた。